There is nothing

「ARBEIT MACHT FRIE」「働けば自由になる」

そう、ここはアウシュビッツ絶滅収容所。

ちょうど1年前にずっと訪れてみたかったアウシュビッツへ行ってきた。

訪れてみたいという表現もおかしいんだけど、

どうしてもこの目で見てみたかった。

昔からホロコースト関連の映画を観ることが多くて、

映像の中で何度も観てきた光景が目の前にある。

とても不思議な感覚で、あ〜ついに来てしまったと。

そんな私も初め、アウシュビッツ(エリア一帯を指す)はドイツにあるものだと思ったけど

実際はポーランド。

正式にはオシフィエンチムという場所で、

ドイツ人が発音しづらいからとアウシュビッツと呼んだそう。

そして今見学できるのは、アウシュビッツ収容所とビルケナウ収容所。

アウシュビッツは博物館となっていて、

よく見る鉄道やバラックの跡地はビルケナウということになる。

この辺の概要はネットでも拾えるので割愛。

個人での訪問も可能だが繁忙期はいろんな制限があることを考慮し、

日本人唯一の公認ガイドである中谷さんのツアーに参加することにした。

まずエントランスで待っていた時に、

ユダヤのシンボルのパーカーを来ている学生たちの集団に出くわした。

彼らはイスラエルの学生たちで近年、

この世代になってようやく「歴史を見る」「受け入れる」ということが

出来るようになったという。

彼らにとっては「恥の歴史」という認識だから、

収容所を見学するなど容易なことではない。本当にそうだ。

博物館ではエグい場面が多々あり、

その空間に入れない学生、気分が悪くなる学生、号泣する学生たち。

その姿を見るたびに涙が出た。

直視する学生たち、伝えなきゃいけない先生たち、

見学後は集まって意見交換などもしているそう。とても感慨深い光景だった。

そして、生存者さんたちの慰問の姿も拝見する機会があった。

中谷さん曰くもう生存者も少なく居てもかなりのご高齢で、

こういう光景を目にできるのもあとわずか。

今日ここで拝見できているのはとても希少だと。

伝えるために写真に収めても良かったかもしれないけど私は記者でもなんでもない。

彼らにとってはお墓と同じ場所なので、ただそっと拝見させていただいた。

あ〜なんか文章にまとまりがなくなってきてしまった。

見たものとあの時感じたこと、今まで点でしかなかった自分の知識が

一気に線で繋がった感触があって。。。

そうかそうか、あれはここと繋がってここはあそこに繋がるんだと。

で、結局なんなんだってことになるんだけど。笑

収容所を実際に見て思ったのは、絶滅収容所なのにきちんと木が植えてあったり

1日に2回しか使えないトイレなのに、あの時代に便器であったこと。

洗面台には石鹸置きが作られていたこと。

託児所があったこと。(託児所としては実際に機能していない)

一級建築士たちが収容所とはいえ、

こういう施設を作る上では託児所含め必要なことだという理由から

図面に起こされたの出そう。ため息出る。

これって彼らがいかに文化的にも頭脳的にも高水準であったかという、

確固たる証拠じゃない?というところにたどり着くの。

実際にドイツ人は昔からレベルが高いで有名ですよね。

それじゃなぜ、

そんな彼らがこんな理不尽な過去を作り上げてしまったのかという疑問が出るわけ。

その答えって出ないよね。永遠に出ないと思う。

ただ人間は恐怖のどん底の中では、自分の身を守るために何でもする。

裏切りや脅威も、やはり恐れから生まれるんじゃないかな。

結局ホロコーストだって、ヒトラーが先陣を切ってその脅威がどんどん増して

民主主義なんて理由づけてエスカレートしたでしょ。

そこで民主主義って何ぞやってなっちゃうわけ。

そう、アウシュビッツを前にして

私は民主主義とは何ぞやという永遠の問いかけにたどり着いた。笑

永遠に公平になることのない民主主義。

世界中には色んな国や宗教、風習とかがあって、色んな人間が存在する。

それで1ミリたりともずれないで分かり合えるって、絶対にないと思う。

理不尽な摩擦を起こしたり殺しあったりするのは絶対に許せないけど、

人間は永遠に民主主義への疑問にぶつかり続けるんだなって。

難しいよね。

でも色々見て考えて、自分の意見を持つことが大事なんだと思う。

じゃないとまた同じ過ちを繰り返す。

だからここには何もない。ただあるのは事実だけ。

アウシュビッツで私はそう思った。

最後に、

素晴らしいガイドで案内してくださった中谷さんに感謝を込めて。

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